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4月20日 老朋友新朋友 3さて土曜日、約束の時間に待ち合わせの黒石礁というバス停まで行きました。ショッピングセンターがあって賑やかです。しばらく待っていると、昨日とは違うお友達を連れて、麦兜さんがやってきました。お友達は日本語もできるそうですが、やっぱり中国語でお話しましょう。簡単な朝食をとってから、いよいよ旅順行きのバスに乗りました。
旅順までは45分くらい。途中の峠には大連の医科大学があって、とてつもなく広大な敷地に立派な建物がたくさん建っています。近くには、有名な大連外国語学院もあります。
星期六,说好的时间到黑石礁汽车站打车去了。在那边有购物中心很热闹。过一会儿麦兜跟着新朋友一起来,听说她会日语,但还是汉语来交流吧。吃了一点早餐,终于坐大巴到旅顺出发了!到旅顺要45分钟左右,路上有大连医科大学,用地很广大有很多宏伟的建筑。在附近也有很出名的大连外语学院。
旅順は軍港があるため、1990年まで開放されていなかったそうです。街自体はあまり大きくないものの、海の匂い一杯の街です。早速歩いて白玉山に登りました。普段の運動不足がたたり、ちょっと登っただけでかなり疲れる。でも頂上から見下ろす旅順港は、昔から軍港になるだけあって複雑に入り組んでいて、とても綺麗です。頂上には日本軍が建てた高い塔も残っています。
その後は南子弾庫という、砲台陣地に連れて行ってもらいました。日本軍やロシア軍が使っていた砲弾が展示されているのは、昔のトーチカ陣地とその奥にある砲弾庫です。旅順港にやってくる敵の軍艦を攻撃するための陣地ですが、普段は普通の農村のように偽装し、今に至るまで完全に破壊されたことはないそうです。
听说因在旅顺有军港,到1990年没开放。城市不算很大,但有大海的滋味的城市。到了就爬了白玉山,因平时没有做什么运动,爬一点就觉得很累了。但从顶山看到的旅顺港是,不愧是个从古到今一直特别好的军港,地形复杂,很漂亮。顶山还遗留着日本军建筑的古塔。
然后我们到叫“南子弹库”的炮台阵地去了。在清代的炮弹库展示着很多日军和俄军的炮弹。为了攻击到旅顺来的军舰有这个阵地,但平素装一般的农村,所以到现在没有完全的破坏过。
お昼ごはんには美味しい大連の海鮮料理を食べて、午後は203高地に行きました。ここは日露戦争の最激戦地で、日本ロシアとも、多くの軍人が犠牲になったところ。登ってみると遠く旅順港が見渡せて、軍事的には重要だと思われますが、今ではただの小高い丘です。当時の戦争指導者たちの強引な命令のもと、地獄のようなこの丘に飛び込まざるを得なかった人たちの心を思うと、今のこの平和がいかに貴重なものか、あらためて胸に染み渡ります。
中午吃了很好吃的大连海鲜,下午去了203高地。人都知道这里是日俄战争的最激战地,两军都很多军人被牺牲了。从顶上很远看到旅顺港,应该是个军事的重要地方,但现在是很普通的一座山冈。想到遵从当时的战争指导者的强硬命令,无可奈何得到地狱投入自己的人们的心情,重新铭刻在心现在的和平多重要。
最後は日俄監獄址を訪れました。網走刑務所を思わせるような放射状の建物で、囚人、それも日本側から見た政治犯が、いかに劣悪な環境を強制されたかがよく分かります。とくに実際の絞首刑場を見たのは初めてで、太いロープと、かなりの落差のある構造に、胸が苦しくなりました。
最后拜访了日俄监狱旧址。是網走刑務所似的放射状建筑,一看就很容易想到当时的囚犯(但他们只是对日本的政治犯而已)处在多恶劣的环境。特别是对我来说这次是第一次看到了绞刑架的实物,很粗的绳子,很大的落差,觉得很心疼。
旅順は中国・日本・ロシアが入り混じった、複雑な、そして悲しい歴史を持った街です。特に日本人にとっては、侵略者としての悪行をまざまざと見せ付けられる街でもあります。中国人の友達と行くにはあまり適当ではないのかもしれませんが、反面、中国人と日本人が一緒に訪れることにこそ、意味があるのでしょう。当時の事情は今では想像することも難しいですが、砲火を交えるという事は、結局無数のごく普通の人たちが傷つき、死んでいくということ以外の何物でもありません。国と国との争いを避けるのは難しくても、戦争という手段に陥ることだけは、今後二度と許してはならないと、この旅順への小旅行で改めて強く感じさせられました。
旅顺是个中国/日本/俄罗斯很复杂混合的,有个不幸福的历史的城市。特别是对日本人来说,明确的被显示当侵略者的许多恶行的城市。所以有可能不合适跟着中国朋友一起去,但还是中国人和日本人一起去才有意义。当时的各种各样情况很不容易想到,但交战是,最后还是只是无辜的很多老百姓被受伤被杀掉而已。虽然国家和国家的矛盾很难解决,但还是怎么也要避免交战的手段。到旅顺的小旅游让我重新认识这个事情。
(正しい中国語は、麦兜さんのコメントを参照しましょう!添削多すぎ修正不可・・・)
4月16日 老朋友新朋友 2事前の約束どおり、麦兜さんにご飯をご馳走してもらいました。大連の料理はあまり辛くはないそうで、辛いものを食べると汗がたくさん出てしまう私にはちょうどいい味付けです。もちろん海鮮物が美味しいのですが、私は肉の千切りをいためたやつが好きなので、これも注文。次々と出てくる料理は美味しいのですが、量が多すぎて食べ切れません。結局残ってしまったものをお持ち帰りにして、楽しい食事が終わりました。そのまま歩いて、麦兜さんの職場の銀行へ。
彼女の銀行は中国一番の銀行、日本で言えば日銀みたいなものですが(ここまで書けば、誰でも知ってるあの銀行)、昔と違って中国の銀行もとても綺麗で、サービスも格段によくなってきました。彼女が自慢している通り。ただ、私の街では相変わらず怒鳴り返されたりもしますが・・・
根据我们的约定这次是麦兜请我客了。听说大连的菜不是很辣,我这个人吃辣的就出汗了不得了,所以对我大连的菜是真对口味的。当然在大连海鲜是最好吃的,但因我喜欢吃肉丝,订了鱼香肉丝。菜一个接一个得出来都很好吃,但菜太多了很遗憾吃不了,打包拿回去了。然后我们一起到麦兜的单位走过去了。
她的单位是中国最大最出名的银行。不像以前那样现在的中国的银行很干净,服务态度也越来越好了,她经常自豪这点。但其实在我住的小城市的银行就是还是像以前那样,有时候被骂的呀・・・
その後はバスに乗って、星海公園へ。星海公園はとにかく大きくて、端から端へ歩くだけでかなり疲れてしまうほどです。周りには近代的なマンション群や展覧会場があって、たくさんの人が凧を揚げて楽しんでいます。ちょっと遠くには西洋の古城を模した博物館も見えます。そしてさらに進むと、海が見えてきます。この海のちょっと向こうはもう日本。意外と大連と日本は近いのです。
またお話をしながら公園を抜けて、今日はホテルに帰ることにしました。帰りは路面電車。中国では大連にしかないそうです。どこまで乗っても1元なのでとても便利。だけど公園からは乗る人が多く、通勤時間帯の山手線のような超満員。
然后我们坐大巴到星海公园去了。星海公园特别广大,从头到尾走过去的话就够累。周围有很多先进的公寓和展览馆,很多人放着风筝玩的。往远看像欧洲古城的博物馆也看得到。再走过去到了海边,这大海的对面就是日本,其实大连离日本不远的。
边讲话边走回来,今天要回宾馆了。回来的路坐了路上电车,听说在中国大连只有路上电车的。坐到那里也只要1块钱很合算,但因为我们从公园上车人特别多,像上班时间的山手线超级满员!!
電車から降りて、麦兜さんとは今日はここでお別れ。「市政府前で降りるのよ!」と教えてもらってバスに乗りました。知らない街の知らないバス停で降りて、「ホテルは人民広場の裏側よ」という情報だけでホテルに着けるほど、大連は小さな街ではありません。案の定、道に迷い、道路掃除のおばちゃんに道を聞いても「言葉分かんないわよ!」とすげない返事。適当に道を曲がって、麦兜さんにメールしながらふと見上げると偶然にもホテルの前。やれやれ、タクシー拾わなくてよかった!でもおかげで人民広場や市政府の立派な建物もゆっくり見ることができて、結果オーライでした。明日は旅順に連れてってもらう予定ですぅ!
下电车了今天跟麦兜要告别了。“在市政府要下车啊!”她告诉我要下车的车站,我一个人上了公交车。但下车后我只有“你的宾馆在人民公园的后面啊!”的情报,大连是个很大的城市,在不熟悉的大城市在不了解的车站下车也很不容易回到宾馆的。果然迷了路了,跟打扫阿姨问路也只能听到“听不懂!”的一句话,没办法,随便拐过去,边跟麦兜打手机信息边抬头看,偶然在眼前看到了我住的宾馆!哎呀呀,刚好没打车的呀!但从结果来看,慢慢得能看到了人民公园和有历史的市政府,还是感谢麦兜吧!明天请她带我去旅顺噢!
(正しい中国語は、麦兜さんのコメントを参照しましょう!添削多すぎ修正不可・・・)
4月12日 老朋友新朋友 1先週の週末に、大連へ遊びに行ってきました。
大連には、naoさんのブログを通じて知り合った麦兜さんが住んでいて、ご馳走するから、というので、思わず遊びに行くことにしたのです。今年から法律が変わり、清明節が国のお休みになって、ちょっと旅行するのが便利になりました。また大連へは、私の田舎街から週3回フライトがあるので、わずか1時間で着いてしまいます。
上个周末到大连去玩了。通过nao姐的博客认识的"麦兜"住在大连,她说她请客,我就决定过去了。法律改了一点,从今年开始清明节放假了,所以去小旅游很方便了。而从我的小城市到大连一个星期有3次航班,一个小时就能到,特别方便了。
大連に行くのは1年半ぶりです。前回は、以前私の部下だった通訳さんが大連に住んでいて、彼女の家を訪ねに行きました。今回も時間があったら遊びに行きたいと思っています。
1時間は本当にあっという間。お昼にはもう大連に着いちゃって、早速麦兜さんに連絡。2時半くらいには時間がとれるとの事で、先にホテルに行って休むことにしました。
阔别1年半之后的大连,上次是去看我以前的翻译。如果有时间这次也到她家去玩吧。1个小时很快就过去了,中午已经到了大连立即给麦兜打电话了。她说2点半以后才有时间,所以先到宾馆去休息了一会儿。
約束の時間に、レストランの前で待っていました。うーん、それにしてもどんな人かな?まだ会った事はおろか写真すら見たことない。本名だって知らない。ちょっとドキドキして待っていると、「Dacang!」と後ろから声がして、思わず振り返ると、友達と二人で歩いて来る麦兜さん。想像していたよりずっと理知的な素敵な女性でした。
说好的时间在餐厅门口等着她。嗯--,会是什么样的呢,连照片都没看过,姓名都不知道的。稍微心跳得等待着她来,突然有人从后面喊我[Dacang!],不由得回头看就看到了跟朋友一起来的麦兜。她的样子比我想象的要理智,干练。不是天真的小女孩!
と、ここまで書いたら、初めて中国語ブログも書いたので思いっきり疲れました。この後は第2回に続く・・・
写到这里,因这次是我的第一次中文博客太紧张了够累了,下次再写吧!
3月25日 煙突の街2週間ほど前に、吉林省の長春という街に行ってきました。緯度は北海道と同じくらいなので、冬はとても寒くなります。会社の同僚に長春出身の人がいて、子供の頃はマイナス40度近くなったそうですが、今ではマイナス25度位までしか下がらないそうです。
チンタオ空港から1時間半、長春の街に到着すると、やはり北海道に似た北国の街の匂いがします。田畑の間にある樺の木が白く、うねうねと丘が続き、浅い春の光の中、どこか寂しげです。
長春は今では自動車産業の街。有名な一汽自動車の基地になっているので、自動車関連企業がたくさんあります。また古くは満州の中心となった町でもあり、当時の建物があちらこちらに残っていて、「東亜経済新聞社」などという日本の新聞会社そのもののような新聞社が残っていました。街にはどんどん新しい建物ができていますが、やはり沿岸地域の街と比べて発展のスピードはあまり速くはないようです。
仕事で疲れたので、足マッサージに行きました。担当してくれた女の子は地元の出身なので、街のことを色々聞くことができました。
新しい建物にはすべてスチーム暖房が入っていて、マイナス25度になっても建物の中に居る限りとても暖かいそうです。ただし問題は暖房費用が高いこと。一冬で1500元以上かかるそうです。これは若い人の一か月分の収入に相当するわけで、かなりの金額です。
農村部には当然スチームがないので、「カン」(炕) と呼ばれるオンドルがどの家にも作られています。カマドで火をたいてその熱を一段高くした床の下に送るわけで、もちろんスチームほどではないものの、比較的過ごしやすくなるそうです。ただやはり燃料に石炭を使うと一冬1000元以上はかかってしまうので、現金収入の少ない農家にとっては、大きな負担になります。
ただし中国も東北地方は美味しいお米の産地なので、一般的な農家でも8000元位は収入があるそうです。私の田舎街の農家では、3000元位が普通なので、かなり恵まれていると言えるでしょう。もっともこれは中国の税制が3年ほど前に変わり、農家から土地使用料などを徴収しなくなったのが大きいようです。それまでは私の街では1500元位でしたので。
空港までの道路の両側に広がる雄大な畑、そしてその農家の屋根には、どの家からも「カン」の煙突がかわいらしく出ています。次に機会があったら農家にお邪魔して、温まってみたいと思います。
2月11日 またまた、上海帰りーのー中国のお正月を上海で過ごして、今日また田舎街へ帰りました。
上海の大晦日の夜といえば、花火。ホテルでうたた寝をしていたら、派手な音が響き渡り始めて目が覚め、あわててコートを着て街の中に飛び出しました。今回のホテルは南京路なので、飛び出すとすぐ、あたり一面花火の嵐!360度どこを見ても花火が上がっています。
南京路の1本南の通りで派手にやってるので行ってみると・・・
ビルとビルの間で、もー、めちゃくちゃやってるー!爆弾テロじゃないってのー!
花火がビルに当たってガンガン跳ね返るところを見るのは、初めての体験!
30分ほど見ていたら、花火の燃えカスが空から大量に降ってきて体中紙くずだらけになって、煙で目もショボショボになって、耳鳴りキンキンでやっとホテルにたどり着きました。
それにしても今回の上海、大雪による電力制限のせいか、夜の南京路にネオンがない!人はたくさん歩いているのに、それこそ火が消えたように灯が消えている。こんな寂しい南京路は初めてでした。石造りの古いビルが並ぶ外灘も照明がなくて、なにやらゴーストタウンのよう。明珠タワーも薄ボンヤリで、今回上海に初めて来た人は、本当にお気の毒でした。本当はもっと、にぎやかなんだよー!ちょっと派手すぎるくらい、すごいんだからぁー!
それでも上海は上海、楽しいことも一杯あって、久しぶりにゆっくり休暇を過ごせました。雪がたくさん残っていて、ちょっと寒かったけど、これもいい思い出。また遊びに来るからね!
2月5日 お正月じゃー!ふんとに大雪に振り回された一週間だったけど、とにかく何とか過ぎ去って、明日からはうれしいお正月休みー! 8連休じゃー!
今年の春節は上海で過ごします。田舎街ではあまりに退屈だし、大雪の影響がまだ残っていて、遠くに行けば帰れなくなるかも。何でも広州駅ではちょっと前まで、ン十万の人達が足止めされて、トイレもなくて、とても人間が過ごせる環境じゃなかったらしい。インタビューに出てた女性は、顔クシャクシャにして「蒸し死ぬかと思った!」と泣いてたっけ。
ドイツ野郎たちも、ドイツに帰ったりバリ島に行ったり韓国に行ったりと、おのおの中国から抜け出して遊ぶらしい。田舎街の生活は、ドイツ野郎にはキツ過ぎるらしいねぇー!お箸を使ってご飯を食べる日本人だって慣れるまでは大変なんだから、食生活の違う連中には厳しいだろう。夕食は毎日クッキーとミルクだと言ってたヤツもいる。
と言うわけで、明日から上海でぇーす!
別にいまさら上海に何がある訳でもないけれど、お正月だもんねぇー!ちょっと美味しいもの食べて(吉野家さんと、ハーゲンダッツと、味千ラーメンと・・・、って、これがお正月の贅沢なのだろうか・・・)、都会の空気を味わって、仕事忘れてぇー、ゆっくり息抜きをしてこようと思います。
それにしても、夕方また雪が降ってきた。高速度道路、通行止めになりませんように!6時間でちゃんと着きますように!いい子にしますからぁー!っと。
1月30日 大雪じゃー!中国中部は、25年ぶりとも50年ぶりとも言われる大雪。ちょうど春運と言われる春節民族大移動が始まったところで、多くの人が影響を受けています。
影響列伝
*6年ぶりに新疆へ帰ろうと、長期休暇申請をした部下が、交通手段がなくなって帰れず今日も出勤。
*広州をはじめ出稼ぎ者が多い街の駅では、数万人の帰省予定者が駅前でウロウロ。寝る場所もない。
*我が社への部品納入がされず、生産ライン停止寸前。ドイツ野郎の総経理は「ヘリ輸送はできんのか!」などと無理な注文。
*会社によっては昼間休業、夜勤生産。火力発電所に石炭が供給されず、昼間の電力は緊急用に温存する必要あるため。
*鉄道・高速道路・エア便閉鎖、ヒトも物も動けない!3日間高速道路上で動けず過ごしている車もあるらしい。
*バリ島へ休暇旅行に行く予定だった総経理が予定を断念、機嫌が悪いのは、そのせいか?
*中国北部は影響なし。大連の「麦兜」さんの話では、ちょっと降っただけみたい。
*日本のお客様まで心配して納入スケジュールを確認してくる。本当に心配なら、少しほっといてくれ!対策で手がまわらないんだから!
*春節は上海へ行って過ごす予定だけど、それまでに回復するかなぁー
*積雪で車庫がつぶれ、車がかなりオシャカになってるみたい。
結論
30cm降っただけでこの騒ぎ。
30cmの雪で、車庫がつぶれるか、普通! 雪国育ちのDacangを馬鹿にしとんのかぁー!
おんどりゃぁー!
おかげで今日は死ぬほど忙しかったんだからー!総経理の機嫌悪いしぃー!
1月28日 田舎の結婚式昨日の日曜日は、部下の結婚式でした。
彼女の家は、私の田舎街から更に10Kmほど奥の農村地帯です。パーティー会場は小さな街の小さなホテル。
私がこの街で暮らし始めて9回目の冬、今年は一番の大雪です。でもはっきり分かっているのは、そんな小さなパーティー会場には暖房が入っていないこと。だから思いっきり厚着をして出かけました。上下ともフリースの下着、セーター、羽毛服。もちろん会場では、みんな羽毛服姿のまま食事をします。
さて、会場に着くと、どう見ても私の部下じゃない女性がウエディングドレスを着てお客さんを迎えています。どうやら2組パーティーをするみたい。会場には何の表示も無いので、どこが会場か分かりません。うろうろしていたら、別の部下が私を見つけて、会場に案内してくれました。
普通は受付にご祝儀を渡すのだけれど、その場所も無い。おろおろしていると、親戚らしいおばちゃんが来て記帳簿を開いてくれました。私の街のご祝儀相場は、一般は100元、上司は200元です。記帳して、席に着くと、もうみんな料理を食べ始めています。うーん、それにしても、新郎新婦が見当たらない。早く来た人も、まだ見ていないとの事。まぁいいや、と、みんなと一緒に料理をいただき始めました。
後から後から料理が運ばれて、すでに円卓の上は、載せる場所が無くなった料理が先に運ばれた料理の上に、3段まで積まれています。これはよくある事です。でも、始まってから1時間経っても、まだ新郎新婦は姿を見せません。吐く息は白く、足元は寒く、で、何でこんな所で食事してるのか・・・って、疑問疑問!
ようやく主人公達が登場。彼女は一般従業員で給与も高くなく、普段は全然お化粧をせず、着ている服も質素です。でも今日は、純白のドレスを着てお化粧をして、本当に見違えるほど可愛い新婦さんです。そして新婦さんがこんなに綺麗なのは、お化粧やドレスのせいだけじゃなく、きっと溢れるような幸せが伝わってくるからでしょう。
田舎街のはずれの農村で生まれ育った彼女。生活環境は普通の日本人では想像できないほど厳しいけれど、今は世界で一番幸せです。そんな幸せを分けてくれて、本当にありがとう。もうじき中国はお正月。一生に一度の、最高に嬉しいお正月を迎えてください。
おめでとう!
1月19日 無心無心、といっても、お金をねだるほうの無心のお話。
私の田舎街にも、無心する人がたくさんいる。
パターン1
高級レストランの前で無心。老人が多い。レストランから出てくるお金持ちから、おつりの小銭を無心する。暇なときは無心仲間同士でムダ話をして過ごし、会社の同僚みたい。
パターン2
往来に家庭の事情その他を大きくたくさん書いた紙を置いて、歩道の上に正座して無心。中高校生?が多い。ひたすら正座していて、心が痛む。
パターン3
身体に障害がある方の無心。特に足が不自由な方が多い。働けないので、これ以外方法が無いと思われる。
パターン4
二胡などの楽器を弾きながらの無心。老人の夫婦者が多い。綺麗な二胡のメロディーに引きつけられる。
パターン5
子供を使っての無心。幼児がカップを差し出してお金を無心する。生活が苦しいのは分かるが、こればかりは許せない。組織化され、送迎車まであると言う噂あり。
パターン6
道を聞くふりをして無心。話を聞き始めるとつい引き込まれていまうので注意。100元渡しちゃったことがある。
パターン7
普通の無心。老人が多い。歩道でお金の入れ物を置いて座っている。
書き始めてみたら、思ったよりパターンが多かった。街を少し歩くと、無心をしている人に出会う。ごく日常の風景だ。経済の格差が大きく、生活が成り立たず、無心せざるを得ない状況の人が多いのだろう。本当に貧しい訳ではないのに、無心して結構収入のある人もいるらしいが、どう見ても本当に気の毒な人もいる。特にパターン2と3は、心が痛んでしまう。5については、幼児を使う手口が許せないが、本当に苦しいかも知れず、振り切った後の、後味が悪い。
今日も雪が降っている。無心する人たちが寒風の中で座り込んでいるだろう。一部の許せない無心者は別として、本当に方法の無い人たちには今年の冬は厳しい。偽善者になったようでお金を渡すのは好きではないが、今日は午後から街へ出たら、最初に会った人だけには、補助することにしよう。(でも1元だけだよ・・・)
1月15日 雪のお話今日は何年か振りに雪が積もりました。あたり一面真っ白です。今日、結婚のために旅立った友達に、まるで天が綺麗な純白のウエディングドレスを準備してくれたようです。
故郷が信州で、自宅から車で15分も走るとスキー場に着くという環境なので、雪についてはたくさん思い出があります。
雪が積もって、太陽が出て表面が溶けて、その夜が寒いと、次の朝は雪の表面だけが凍っています。子供の頃はこの氷の上を歩くことができました。深い雪の上なのに、アスファルトの道を歩くように渡っていけます。小学校までの近道になります。でも気をつけないと踏み抜いて、ズボッと腰まで雪の中。一歩一歩がロシアンルーレット。このスリルと近道の魅力に誘われて、友達といつも雪の上を歩いていました。体重の重くなった大人にはもうできない、子供だけの特権です。
学生の頃は冬山。白と黒だけの世界。稜線直下でキャンプを張り、朝は遥かな下界を見下ろしながら用を足す。風が吹くと雪が舞い上がって、粉雪がお尻全体を フワッ と撫で回すと、背骨の上まで縮み上がっちゃう。
雪の深いところでは雪洞を掘る。雪はとっても優秀な断熱断音材。外がどんなに吹雪いていても、雪洞の中は放送室の中みたいに静か。でも気をつけないと、雪洞の表面が溶けて水の膜ができて、空気を完全に遮断しちゃうので、酸欠になっちゃう。みんなで意識朦朧としてきて、でもなんかとっても気持ちよくて、あと一歩でみんな一緒におさらば~!なんて事もあったっけ。
ホントに寒い夜に粉雪が降ると、アスファルトの上に落ちた雪はそのまま溶けないで振る積もる。朝、思いっきり ドン と足を踏みおろすと、足の周りの雪が10cmくらい勢いで飛ばされて、下から乾いたアスファルトが顔を出す。フーっと吹いても顔を出す。本当に羽毛のように軽いのです。
学生時代は豪雪地帯で暮らしていたので、雪の量が半端じゃない。一晩で1m降る。ほんとに降る。それが何日も続けて降ると、もう雪を片付ける場所も無いわけで、さらに屋根から雪を下ろされちゃって、1階の私の部屋は完全に雪の下。24時間真っ暗。不規則な生活の学生さんは、目が覚めて時計を見て、8時だと分かっても朝の8時か夜の8時か全然分からないわけです。そんな生活が3ヶ月続く・・・
でも一つだけ便利なこと。コタツに入ってテレビ見ながら、寄りかかってる壁の窓を開けると、そのままビールやらコーラを取り出せる。窓の外が冷蔵庫なのであります!
雪のお話、もっともっとあるけれど、いくら書いても尽きないほどあるけれど、今日はここまで。ヘチャポックリ。←(子供の頃、親父がお話をしてくれて、最後にこう言ってた。意味不明・・・)
1月12日 酸っぱい涙今日も喫茶店で、涙がいきなり、たくさん溢れてきて、困った。
人が見ているのに、後から後からあふれ出して来て、もう流れるに任せるしかない。ほんの些細な事でも、あの頃を思い出すといきなり胸が酸っぱくなって、眼に水が集まって、両目じりから一気に流れ落ちる。一度緩んだ涙腺は、抑えようとしても、違うことを考えても、もう開けっ放しの蛇口のように、次の涙を送り出す。別にもう悲しいわけではないし、とっくに気持ちの切り替えは出来ているはずなのに、本当に、どうしたらこんなに大量の水が目から出てくるのだろう。
もう眼が痛いぞ。きっと真っ赤だぞ。何の理由もないぞ。半分はうれしい筈だぞ!
自分はつくづく幸せな人間だと思う。こんな経験ができるとは思っても見なかった。心の中でまぶしく光っている宝物を手に入れた。
なのに、それを思い出すと、また目が熱くなってくる。
幸せな、酸っぱい涙が集まってくる。
1月9日 交通事故この間上海に出張したときに、上海人の友人が、「上海では交通事故で毎年12000人も亡くなっている」と話しておりました。
中国に来たことのある人なら、誰でも交通マナーの悪さに驚きます。アウトバーンを制限速度なしでつっ走る、アグレッシブな運転のドイツ野郎供でさえ、「ドイツ人もビックリ!!」と驚いています。車・バイク・自転車と、歩行者や時には馬車(アレ?私の街だけ??)が入り混じって行き交う街中。そのそれぞれが、お互いに相手のことを気にしない。自転車や歩行者の様な交通弱者でさえ、左右を見ないでスッと道路に出てくる。事故が起こらないのが不思議なくらい、絶妙なタイミングで交差しあう。上海の12000人は大げさだとしても、1日かなりの人たちが犠牲になっているだろうことは、容易に想像できます。
私自身も、これまで多くの事故の現場に出会い、恐らくもう亡くなっているだろう人が道路に横たわっているのを何度も見ました。特に農村部では、治療費が払えそうも無い人は病院にも運んでもらえず、放置されたままになってしまいます。国民保険のような制度が無いので、農村部の人は保険に入っていない。治療費を払う見込みが無い場合、病院は治療しないという事がはっきり分かっているので、道行く人もどうしようもないのです。
悪い条件はどんどん増えています。新車の販売量は既に日本をはるかに上回り、私の田舎街でも8年前と比べて倍以上の交通量です。さらに電動自転車が普通の自転車以上の割合になり、音も無く高速で走り回っています。道路が急速に整備され、増えた車が以前よりはるかに速いスピードで走り去ります。とても残念なことに、私の会社でもここ3年ほどの間に2人の若い女性従業員が、交通事故で亡くなりました。つい先日も、一番身近な部下の弟さんが、亡くなりました。
中国全体では、1年にどれほどの人が犠牲になっているのでしょう。農村部を横切る道がどんどん整備され、広くなり、車のスピードが上がり、その一方で農村の素朴な人たちは、交通安全の教育を受ける機会も無く、その危険を知らされず、いきなり道に出てきて犠牲になる。そんな構図が容易に想像されます。
中国の人たちは、普通の日本人よりもはるかに家族の絆を大切にしています。貧しさや、他人を容易に信用できない環境も影響していると思いますが、親、子、兄弟のつながりは、日本ではちょっと想像できないほど深く、そして強いのです。その大切な家族が一瞬にして失われること。昨日まで元気だった人が急にいなくなってしまうこと。交通事故。
毎日のように、交通事故の事が頭をよぎります。日本でも何十年か前、「交通戦争」と言われ全国で一万人を超える人が亡くなっていましたが、去年は5700人にまで減ったとのこと。警察の取締り強化と、人々の意識が変わってきたのが原因だと思います。
ぜひとも、もっと子供の頃からの交通教育を充実して、車の危険をアピールして、少しでも早く、少しでも多くの人たちが救われることを心から願っています。 1月5日 上海帰りーのー新年早々の上海出張から帰りました。
実はしばらく上海に行ってなかったんだけど、ニョキニョキ新しいビルも出来てたりして、やっぱり発展のスピードがものすごい。改めて、中国のスピードの速さを感じてしまいます。
機会があって、上海大学へも行ってきました。門を入ると広ーい芝生の庭があって、大きな木もたくさんあって、これが上海の町の中とは思えない感じ。学生さんも生き生きとしていて、彼らが中国の将来を担って、ますます発展のスピードも加速して、そう遠くない将来に中国の時代が来るのを予感させます。若い人口が多いということは、それだけで大きな力を秘めていると言うことでしょう。
さて、車で移動している間の会話は、アパートの値上がりの話と株式の話。ホントか嘘か分からないけど、例えば知り合いの人が2000年に490万元で明珠タワーの近くの建物を買った。それが最近区画整理の立ち退きで、5億元入ったそうな・・・、とか、俺のアパートは50万元で買ったけど今250万元になってて、30万元の改修をして息子にあげるんだ、とか。
ちなみに1元は庶民感覚で50から100日本円くらいなので、とてつもない金額です。
人が集まると、こんな話ばかり。去年大学卒業した(とってもかわいい)女性エンジニアも同席してましたが、彼女の手取りは月2800元だそうな。これが普通のお給料。これと比べて何十何百万元という金額の話を、皆で普通にしてる。発達のスピードが早いので、バブルマネーが行き来して、庶民の感覚が狂ってしまっています。トンでもない金額を実際に手にする人が身近にたくさんいて、どうやったら自分もそんなチャンスに出会えるのだろうと、鵜の目鷹の目で機会を探してる。または、チャンスに出会えない自分に、イラついてしまう。
実際、上海の町の中のアパートは、普通のクラスでも1平方メートル15000元以上になっていて、全部の費用を合計すると200万元にはなってしまう。夫婦合わせても月収8000元位が、ちょうど家の欲しい会社員夫婦の収入レベル。200ヶ月分以上の月収のアパートを、どうやったら買えるのでしょう。一体、今買っている人はどんな人なのでしょう。それでも振り向くと、どこもかしこもアパートの建設ラッシュ・・・
ちなみに私の会社の一般従業員の給料は、手取りで月1000元ちょっと。従業員同士で結婚したら、夫婦でも2500元位。私の街のアパートでも、全部入れれば最近は40万元はしてしまうので、夫婦の年収の10倍以上になります。さらに悪いことに、給料の上昇のスピードより、はるかに速いスピードでアパートの値段が上がっていることで、5年前は半額以下でした。若い夫婦は、親の援助が無ければ、絶対に自分のアパートを持つことが出来ないでしょう。その親も、農村で暮らしているとしたら、数万元を用立てできるのが精一杯です。
隣の人が大きなチャンスをモノにしたのに、自分が手に出来ない苛立ち、そして給与上昇よりはるかに早い物価上昇。
とてつもなく早い経済発展速度に、多くの人があせり、必死についていこうとしています。そしてお金の無い人は、大きな矛盾の中で、取り残されていく不安と戦っています。
久しぶりの上海で、きっと世界でもトップのスピードで膨張しつつある経済を目の当たりにして、改めて色々考えてしまったのでした。
1月1日 お正月あけまして、おめでとうございます。
と、元旦くらいは普通に挨拶して、と。そうは言っても中国では元旦は特別な日というわけでもなく、普通に一日が過ぎてしまいました。
ちょっと変わったことがあったと言えば、夜の0時前後に爆竹がちょっと鳴ったのと、やっぱり0時からCCTV1で、胡錦涛主席が新年の挨拶をしてた位かしらん。これが上海あたりなら、もっと花火もにぎやかなんだけど・・・
というわけで、明日からいきなり上海出張で、もうお仕事です。ヤレヤレ・・・
そういえば中国は今年から国の方針で5月の連休がなくなっちゃった。最近生活にゆとりが出てきて、観光旅行者が増えて、連休はどこへ行っても人の波。あまりのすさまじさに、今年から連休を分配するんだそうな。ということで、私めの会社でも、4連休が年に4回あるようになりました。中国の伝統的なお休みの前後を休みにしたわけです。
同じく法律で、5日または10日(勤続年数によって違う)以上有給休暇を取らなかった従業員には、会社は3か月分の給与を支払わなくちゃならなくなった。無理やり休暇を取ってもらわなくちゃならない。そのせいで、会社のカレンダーにあらかじめ5日分、有給休暇を繰り入れちゃった。おかげで去年より休日が5日増えました。そのせいで、4連休が増えたわけであります。 中国共産党万歳!! 先進的だね!
それにしても、あぁ、洗濯機どうしよう・・・
12月31日 年の瀬ううううううううーーーーん っと。ちょっと長く寝すぎたかねぇ・・・
アレ、気がついたらもう年末か。今年もおしまい。
さて、一年のまとめでもしましょうか。えーっと、今年は・・・・・
う゛ーー う゛ーー おかしいな、何も思い浮かばないな。
そういえば10月の連休はどこへも行かなかったし、年後半は海外出張もなかったし、
会社行って、ドイツ人にこき使われて、疲れきって家に帰って・・・ ホントに何も思い浮かばないや。
こんな風にして一年が過ぎてしまうのかしらん。
もう残りの人生そんなに多くないんだから、これじゃまずいじゃん!
いつ心臓止まるかわかんないしぃー!
ということで、来年はも少しマメに、この田舎街からブログ書きましょうね!(でもきっと長続きしない・・・)
ちなみに、今日は洗濯機壊れてるの発見!洗濯物動いてない!全自動だから今まで気づかなかったよーん!お金ないよーん!
5月30日 お仕事
これまでのどの仕事も、みんな自分の希望通りのことをすることができました。残業はきつかったけど、一般の人は立ち入ることができない護衛艦の中央戦闘指揮所の中で仕事したり、防衛庁の技術研究本部で何ヶ月も過ごしたり、で、技術者としてはとても楽しかった若き日々。そこから180度転身して労組専従の書記長として会社とわたりあったその次の8年間。会議で年40泊は日本中の有名温泉に泊まってたっけ。 そして中国へ。それも日本人は全部で30人もいない田舎の小さな街。普通では経験できないことを、この8年でたくさん経験しました。 この次は、どこで、なにを、やろうかな? でも、きっと中国を離れることはないでしょう。もう日本で生活する気はとっくに失せています。 5月8日 TARIKI旅行中に上海でNHKのBSを見ていたら、五木寛之氏が自著「他力」をテーマにアメリカを旅する番組を放送していました。私は残念ながらまだこの本を読む機会に恵まれていませんが、番組の内容からその本は、親鸞上人の説く「他力」をテーマにしているようです。 五木氏は、欧米流のアクティブさ、すなわち「自力」だけを賞賛する価値観、また宗教対立によって世界各地で頻発している紛争に対し、「他力」を中心とした東洋哲学が、それらの矛盾を解決していく一つの鍵になるのではないか、という観点で、アメリカの知識人と対話されていました。 他の多くの人の犠牲や好意があって初めて、今の自分が存在する事ができる、というのは自明のことです。また絶望や悔恨の中から、次に何をすべきかを見出していくことも重要です。自分ではどうする事もできない苦しさをじっと抱いて、その暗い闇の中で、ほのかに差し込んでくる光の暖かさを思い、感謝し、その光の方向へ進もうという心の動きは、私にはとても良くなじむ物でもあります。 一方番組で登場したアメリカの外科医は、その対極にいる典型的な自力本位の方でした。彼はその長い医師経験から、「絶望の中からは何も生まれない。希望を持った患者だけが生き残る力を得る」という、強い信念をお持ちでした。 私は現在外資企業に籍を置き、ドイツ人上司の価値観に基づいて働いています。自分の達成すべき目標値を明確に設定し、それに対する達成度を積極的にアピールし、その結果で評価されるのを望むのが彼らの価値観で、実績を上げるためにはあらゆる手段を講じていきます。そのアクティブさが、勝負なのです。 私は五木氏の強調するところの「他力」の重要性については、おそらく多くの日本人の血液の中にそのエッセンスが流れているものと思います。意識の根底に、他人を踏み台にして自分が駆け上がることへの罪の意識が潜んでいるのでしょう。「他人に迷惑をかけてはいけません」という幼い頃からの教育が、「他力」を意識させる栄養になっている、とも思われます。 しかしドイツ人の仕事ぶりを目の当たりにし、また中国で長く生活している実感から、逆に「自力」に対する評価が低すぎたのではないか、という自分自身に対する疑問も同時に感じています。 仕事にせよ私生活にせよ、自分自身で道を切り開いていく、どんな方法でも良いから何とかして問題を解決する、という意識の不足。 「自力」と「他力」のバランス。違う言い方をすれば、「他力」の中から生まれてくる「自力」による価値観、「自力」を内包した「他力」。これこそが真の「他力」思想なのかもしれません。 一度きちんと「他力」を勉強してみる必要があるな、と、考えさせられた番組でした。 5月5日 家に帰りました。今朝、2週間ぶりに、懐かしい我が家へ帰りました。
思えば、本当に長かった2週間。
我が街 → 北京 →(機内1泊)→ フランクフルト → ブタペスト → ヴェスフレム(3泊) → ブタペスト → フランクフルト(2泊+1泊) →(機内1泊)→ 北京(1泊) → 宁波(2泊) → 义乌(1泊) → 上海(2泊) → 我が街
長い旅の果てのブタペストでの休日、ヴェスフレムでの美味しいフォアグラ、うねる様に続く丘一面の菜の花、道に迷って飛行機乗り遅れた事、古城でのパーティー(聞いただけ)、フランクフルトのスーパーで買って食べたお寿司の夕食、故宮で死ぬほど歩いた事、宁波でのハイキング、义乌で腰抜かしたこと、上海の新天地でヨーロッパ気分を思い出しながら300元のステーキ食べて、次の日は昼夜2度吉野家だった事・・・・ あー、こんなに沢山の事が、この2週間にありました。(出張先での仕事の内容は、もう完全に忘れてる)
2週間といえば、普通の生活ではあっという間に過ぎてしまうけど、本当はこんなに長かったんだと、つくづく思い返してしまいます。
家に着いて、お魚たちが元気だったのでとてもうれしくて、お水を替えてあげて、ついでに新しいお魚まで買ってきてしまいました。そして2週間分の「One Piece」と「死神」もまとめて見ちゃって、家に帰った喜びをかみしめています。
今晩は、これからまかないのおばさんが、紅焼肉を作ってくれます。
家に帰って、本当にうれしかったです。 おわり。
5月2日 義烏すんごいとこ宁波からバスで2時間半ほどで、問題の街、义乌に到着。途中の道は森がいっぱいで、とても気持ちがよござんした。
さて、义乌。着いてみると中国の田舎街の雰囲気たっぷりの、ごくありふれた地方小都市ですが、たった一つ違うところ、それは、中国最大の小物商品市場を持っているところです。
まずは腹ごしらえと、タクシーの運ちゃんに連れて行ってもらったのは、なんと新疆街。とても不思議なことに、新疆ウイグル自治区出身者がメチャクチャ多くて、レストランの中はみんなウイグル族の人たち。聞こえてくる言葉も、もちろんウイグル語。ここで食べなきゃいけないのは、もちろん羊肉のフルコースと、カマドで焼いたばかりのナン。昼真っから羊肉にかぶりつきながらふと見ると、お隣さんは何か白い流動物を食べてる。
も、もしや、あれはプレーンヨーグルト! そう、中国では砂糖を入れた加工ヨーグルトしか売ってません。速攻で頼むと、まさしく原味のプレーンヨーグルト!!
おー、長いこと中国(の田舎)で暮らしていて、初めてプレーンヨーグルトを食べた! 何年か前にウルムチに行ったときにも、これには気付かなかった!
あまりの感動に、ゆっくりと味わいながらおいしくいただきました。 もちろん羊肉もウイグル風味で、抜群においしかった!! また、ブドウのおいしい秋には、新疆へ行ってみたいなーっと!
お腹パンパンになったところで、早速市場へ!3輪自転車に揺られて到着したところは、以前からあった古い方の市場。 ここは今は靴売り場が主流で、ざっと数えて500軒ほどの靴屋さんが集まってる。かなりカッコいい合成皮の革靴が30元!本皮でも安いものは45元! お、恐るべし!
さて、次は最近建てたと言う新市場へ。
着いてびっくり、アジア人、中東人、アフリカ人、うーん、まるで白人以外の人種のルツボのよう。日本の100円ショップも、多くはここから仕入れているとの事、とりあえず、2階に上がってみました。
2階は、女性用のアクセサリー市場。ざっと数えて横20軒×縦30軒=600軒ものお店が、若い女性用のアクセサリーだけ売ってる。こ、この異様な雰囲気はいったい何なんでしょう。お店で値段を聞いてみると、結構きれいな指輪や腕飾り、ネックレスなどが5元から10元くらい。小売をしている店もあるけど、多くは1品120個単位でしか売ってくれない。さすがは中国最大の市場です。そう、中国最大ということは、世界最大ともいえるでしょう。
そのまま突き抜けていくと、さらに20×30の区画が登場、さらに歩くとまた20×30が、そしてまた同じ区画が、さらにもう一つ同じ区画が・・・
なんと20×30×5=3000軒ものアクセサリーショップが市場の2階を占めていたのです・・・ 3000軒と簡単に言っても、1軒5分で見ても、15000分、すなわち250時間かかるわけで、1日8時間見たとすると、31日、すなわち丸々1ヶ月かかっちゃうわけです。1軒10分だったら2ヶ月、1時間見たら丸1年かかる・・・って、一体何なんじゃーーい!
ちなみにタクシーの運ちゃんの話では、この市場の商店の権利を買うと、1㎡=22万元だそうです。私の田舎街では充分新築のアパートが買える値段です。ざっと1軒の店の面積を見積もったところ7.5㎡。よって、1軒当たり165万元の価値があります。この市場は全部で4階あるので、店舗総数は12000軒。これに165万元をかけると、約200億元となります。物価水準で考えると、1元は日本円の100円くらいの感覚なので、中国人の金銭感覚から言うと、2兆円の不動産!!
そろそろ感覚が麻痺してきましたね! ハイ、そうです。 ここは日本人の感覚をはるかに越えた市場なのでした・・・・
用のない方は、どうぞ行かないでください。この恐るべし街、义乌!
5月1日 宁波よいとこ昨日から連休で宁波に遊びに来ています。
宁波は今まで出張で何度も来た事があって、特に杭州からの高速道路上で見える山々が、生まれ育った信州の山を(ちょっとだけ)思い出させてくれたので、ゆっくり遊びに来たいと思っていた街です。途中にある紹興と言う街は、日本でも有名な紹興酒の本場で、臭豆腐を好きになった思い出の街!
宁波いいとこ、その訳は、
1.山に緑がいっぱい!
中国では一般に緑の山が少ない!岩山や裸の山ばかりが目立つけど、ここの山々は手付かずの雑木林がいっぱいで気持ちいい!
2.空気がきれい!
緑が多いせいと、海に近いせいか、空気がとてもきれい。北京などはいつも黄沙のような細かな砂が多いけど、ここはいつ来てもOK!
3.女の子もきれい!
上海・杭州・宁波のゾーンは、地元出身の女の子の肌が白くてきれい! 色白は七難隠すと言うけど、まぁ、うまく隠れるもんです。
4.物価もそんなに高くない!
欲しいものは何でもある割に、やっぱり少し田舎なので、上海のように物価が高くない! 安心リーズナブル!
その他、今日行った九峰山や天童寺など、緑も川の水もきれいで、リフレッシュできるし、天一広場には何でもあるし(ピザハット・味千ラーメン・ハーゲンダッツの、オノボリさん3点セットが揃ってる)、街も全体的にきれいだし、住むにはいい街だと思います。
日系企業も沢山進出しているけど、この街で暮らす日本人のお父さんは、とってもとってもとっても幸せだと思います!!(ちょっと面白くない)
と言うわけで、明日は义乌という、何でも作っちゃう、って街へ行ってみまーす!
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